少数者と武士道

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古谷経衡氏の『日本国紀』批判を読んで

古谷経衡氏は、チャンネル桜でキャスターなどを務めていた『もと保守』で、現在は、左翼文筆家に寝返って活動されている人である。

 

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この記事をざっと読んでの感想。

 

古谷経衡氏のスタンス・・・・通説や学問重視、アカデミズム絶対主義の権威主義、という印象。

「保守は、古墳・王権時代と大東亜戦争時代、戦後しか興味がなく、日本史はそれしか知らない」と決めつけ、矮小化。

 また、大東亜戦争を聖戦視する保守は小林よしのりなど古い人たちのみで、最近の保守は近衛文麿や軍部、革新官僚などによる謀略戦争という見方も定着しつつあるのに、古谷経衡氏は、自分の古巣の「チャンネル桜」あたりの人だけ見て決めつけている。

 

また、尾崎秀実というコミンテルンが暗躍して近衛文麿を利用して日中戦争を泥沼化させたのは歴史の事実。(ただ、アカデミズム、学会がそうした事実を認めていないだけ)

 

 

私もチャンネル桜は嫌いなので、古谷経衡氏が保守離れした気分はわからなくもないが、かと言って左翼に寝返る精神は、己の軸のなさを露呈しているようにしか見えない。

 

時代の趨勢に合わせれば、左翼文筆家の方が仕事は多いだろうと思う。ましてや、保守の内情を知る左翼論客となれば、左翼メディアに都合のいい書き手として重宝されるだろう。

 

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上記の記事を読むと(全部は読めなかったが)、古谷氏は、そもそもなぜ、チャンネル桜に席を置いていたんだろう?と疑問を感じた。

『もと保守』の論客なら、保守の心情ぐらいは理解していて当然だし、保守の正当性に関して理解した上での保守批判が求められているはずである。

 

普通、「左翼」とは、人間の理知や理性に誤謬が無く、過去から未来に向かって急進的かつ計画的に社会が進歩し得ること(進歩史観)を信じる価値観を指す。

その意味で日本共産党は冷戦時代が終わってしばらくまで、政治用語的に「革新」と定義されてきた。が、天賦人権を肯定するものとして、「保革」の区別無く近代以降是認されてきた「人道主義」がなぜ「左翼」とイコールなのかの説明は一切無い。杉田は漠然とこれらの勢力や国家や組織を「左翼」と定義しているが、つまりは自身の道徳観や世界観と相容れず、嫌悪するに値するものを一括して「左翼」と称しているだけで、その呼称も「反日左翼」とか「サヨク」などと移ろいでいる。

 

とあるが、左翼に対する定義が一面的である。

思うに、古谷氏の保守批判は、心情的嫌悪が核になっているように感じる。

そして、左翼に軸足を移した自分を肯定するために、左翼が近代日本にもたらした弊害というものに目を瞑り、作為的に左翼を持ち上げているように思える。