ZENガーデン

ROCKと武士道とマックス・リヒター

自己啓発とは程遠い、葉隠の世界観が・・・・

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トラブル

 

今週は、送迎業務の混乱と同乗の介護者のOさんとの軋轢があった。

背景にあった遠因は、妊娠して体調不良のMさんが先週一週間休まれ、復帰初日の日であったので指示系統が停滞していたことだった。

わたしは、一介のアルバイトドライバーなので直接の上司としては、同乗者のOさんやMさんであるため、順路変更などは彼女たちの指示を仰ぐか了解を得なければならない。

 

その日は、2カ月ほど入院で休まれていた利用者さんが復帰され、コルセットもしているということもあり、その方を先に送り届けるために順路を普段と逆回りにした。

 

私のミスは早めにそれを上司に上げて相談なり了承を得ればよかったのだが、それをしていなかったことだ。(あとで気づいて反省した)

言い訳するなら、順路を仕切っていたMさんが休まれている間、Oさんと相談して決めることに慣れていたから、ということもあるし、復帰初日のMさんに聞くのも遠慮があった。というのも多少ある。

ただ、Oさんはハイエースは運転されないので、適切な順路決定は苦手である。わたしはOさんの指示が二転三転するので、自己判断で順路を決めたのだが、Oさんは気分を害された様子であった。

Oさんが気にしていた、順路変更に伴う利用者さんの到着時間の変更は、永続的なら今後は家族に電話連絡して了承を得るようリーダーに指示をされるようにお願いし、対処したのだが、問題はOさんの感情とOさんとの間の軋轢である

わたしは混乱(判断の食い違い)が生じた原因や問題点をあきらかにしたかったので、Oさんと帰途の車の中で話をしたが、Oさんは、わたしが「責めている」と勘違いされたのか、「わたしが悪いの?」と怒ってる様子であった。

自分の性分として、こういう問題が起こると、なかなかあたまから離れない。こういう事態が起きないために何をすべきか、なぜOさんは「自分が悪い、と責められている」ととったのか?などいろいろ考えてしまう。(私の言い方が冷ややかだった、という反省点はもちろんだが)

 

わたしは仕事そのもののより、こうした人間関係のトラブルで「うんざり」して仕事が嫌になる、というケースが多かった。たいがい感情的なもつれは、解消できなかったからだ。

 

 

『葉隠れ』の世界観

 

わたしは、最近、葉隠れという武士道の世界観を小学生の時から生きてきたという執行草船の世界観に深く共振している。執行氏の世界観は、死生観や文明観、仕事観が不可分の一体を成している。つまり執行氏の仕事観を実践することは、武士道の死生観を生きることにもつながる。

 

執行氏の仕事観は、簡単に言えば「仕事とは文明の義であり、同時にその汚濁と毒を受け入れ愛する必要がある」という。執行氏の哲学に基づくと、どのように仕事と対峙するか、はイコール『神とどう対峙するか』でもある。文明の汚濁と毒は、愛さない限り、その被害者になってしまう、という考え方は目からうろこだった。

わたしは、今、送迎の仕事と病棟の看護助手、そして地域自治組織の事務の仕事をしている。執行氏の仕事観に影響を受け、わたしの『仕事への向き合い方』は変化した。バイトとはいえ、3つの仕事に挑んでいること自体、今までの私だったらあり得なかったことだと思う。

いずれの仕事も、文明の一端であるが、人間が運営していることなので不合理や理不尽さがつきまとう。そういう煩わしさが私は不要な鬱陶しさにしか思えなかった。

思うに、私は、執行氏の仕事観を受け入れる以前は、そういった理不尽さ、不合理を毛嫌いしていた。

しかし、執行氏は言うのだ。

「仕事は理不尽なことがあって当たり前」だと。(したがって苦しみや苦悩するのも当然である、という考え方である。なぜか私は、仕事は苦しみがあって当然、という言葉を聞いて、楽になった気がする)理不尽を含めて愛する、ということが本当のやり甲斐を生み、人間を人間にする、という…(昔風の考え方だが、真理だと思った)

 

 

雨の中で

 

一昨日、Oさんは休みの日、同乗したMさんと別の送迎案件について話が出てMさんの送迎の順路の考えを方を聞いた。それで気が付いたのは、Mさんの送迎の順路の考え方が原理主義的で柔軟性がない、ということだった。(利用者の心への配慮がない)

話を聞きながら、Oさんが委縮している背景は、こうした融通性のない原理主義的なMさんの指導や干渉にあることが察知できた。

わたしは、内心、送迎に対するOさんの基本的な考え方の方が普通なのにな、と思ったが、仕切り屋のMさんには異義を唱えずにおいた。(仕事は指示系統には例え理不尽な指示でも服従するのが義だからである)

そして昨日、同乗したOさんに、自分の感じたことを話したところ、Oさんは大きく頷いていた。

そしてOさんはいつもの明るさを取り戻して、昨日は雨の中、利用者さんたちを家の玄関まで階段を上がるのを介助し、わたしはそれを傘をさして補助していた。Oさんとの軋轢は乗り越えられたようだった。

 

 

蛇足

執行草船の武士道の哲学が面白いのは、人間関係のトラブルの解消のノウハウなど一言もないのに、〈神との対峙〉(根源に突き刺さっていく生き方)を真剣に行うために仕事に取り組むなどする結果、問題解決が時として結果的に為されることである。

たまたまとはいえ、面白い現象である。