ZENガーデン

ROCKと武士道とマックス・リヒター

危機はチャンス

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コロナで大変な時に、中国は「チャンス」とばかり尖閣侵略を常態化させつつある。

このままでは、尖閣は中国に強奪され、軍事基地を作られ、次は沖縄……と侵略されていく…という10年前に恐れていた事態が現実化しそうな状況である。

左翼に洗脳された国民が、半数以上を占めている状況では民主主義国家である以上、どうしようもないのかなぁ、となんとも言えない気分にはなるのですが・・・

ツイッターでは、『検察庁改正案に抗議します』というハッシュタグが500万?とか……別にこれ、定年延長が認可されても施行は数年先だから、安倍さんが贔屓の人がどうとか、と関係ないわけだから、騒ぐ必要ない。共産党や立憲民主党のような左翼政党がプロパガンダ(嘘宣伝)…火のないところに煙を煽ってるだけとしか思えない。乗せられてる芸能人(小泉今日子、きゃりーぱみゅぱみゅ・・・・)は、かわいそうだが、やられましたな。

安倍政権の問題としては、「ちゃんと潔白を説明できない」ってことなのか。

 

でも、「乗せられてリツイートする人が500万くらいはいる」ということと、こういう世論工作を盾に立民は与党攻撃をする、ということを如実に見せてくれた、と思うわけです。

野党が、少しでも「日本の将来」を真剣に思っているなら、中国の尖閣侵略の加速に対して、与党にツッコミを入れ、与野党共同で中国に声明を出すとか普通ならやるんじゃないかと思うのだが、日本はすでに普通の国ではなくなっているのだ、ということを認識しなくてはならないと思う。

 

結果的には、『中国の尖閣諸島への実効支配の既成事実化の暴挙に抗議する』保守の声に対する煙幕になったようなところもあるし、どこまで狙ってやってるか知らないけど、左翼野党の本音は、「日本を全体主義化」することだから、中国という全体主義国家に併合されることはチャンス、という考えなのだろうなぁ、と。

 

中国、韓国と付き合うべきでない理由

 

積 大哲という曹洞宗の僧の書籍のレビューに面白いのがあった。

 

食えなんだら食うな - 関大徹

の読者レビューより

 

 

 この本で問題にされるのは日本人の信仰心と死生観、それと道徳観の新旧という問題でしょう。

 第一番目の信仰心と死生観の問題ですが、先日台湾の李登輝氏(彼自身は日本で教育をうけた日本的知識人です)の書いた本を読んでいたらこんなことが書いてありました。

論語に「未だ生を知らず、焉んぞ死を知らんや」という有名な文章があります。日本人がこれを読むと自覚的な信仰心のあるなしに拘わらず、「未だに生きる意味や自分が生きて為す可きことも分かっていないのだから、軽々に死んでどうなるのかとか死後の世界といったようなことを論じるのは誤りだ」というふうに自然に読むだろうというのです。

ところが中国人は信仰がありません(と言い切っていました)。

だからこの文章を無制限な生の肯定として読むというのです。

するとどうなるか。とにかく生きているうちにできるだけのことをやって楽しむことこそが正しいとなります。

求めるものは財産・地位・名誉です。儒教には五常といって、仁・義・礼・智・信の徳目がありますが、「名教」といって、いわば掲げておくだけのスローガンになっているというのです。

ではなぜ日本人にはそうならないリミッターがかかるのか?それは繰り返しになりますが、具体的に自覚するかしないかに拘わらず、日本人には信仰心とそれに基づいた死生観があるからだというのです。

それを自覚的かつ明確に説いたのが本書だと思います。もちろん、一般の方で生死をそこまで突き詰めて考えているひとはいる訳がありませんが、こういう僧が活躍する土壌がわが国にはあるということなのだと思います。

 

 

 

 

 

 個々の中国人の中には、そうでない人たちもいるのは承知しているが、大陸国家という歴史性ゆえなのか、「物質主義」「即物的」「現世利益主義」的傾向が一般的である。

加えて、マルクス主義(共産主義)という唯物主義の政府が中国人全てを完全支配しているわけだから、強力である。

 (中国の歴史において侵略した民族の歴史、生命を抹殺することは当たり前である。現実にウイグルやチベットで実行中だし)

 

世界観が違いすぎる、というのは決定的である。アメリカやイギリスとはまだ共有できる ところがあるし、日本文明の尊重すべきところを、共和党などはいくらか把握している(民主党はぜんぜんっぽいが)

私なりに学習して、英米の保守主義者の精神性と、日本の武士道の精神性は共通部分があり、軍事、経済における協力関係は現実的に可能だが、現在の中国、韓国は極めて困難だと思う。

 

仮に、中国や韓国と仲良くやっていくとするなら、日本が日本文明の精神性を捨て、シナ化、朝鮮化するしかないだろうと思う。(左翼がこの数十年やっていることは、それである。その効果はかなり出ている)

 

 

米国に守られる続けることを期待しても滅ぶ時は滅ぶ

 

自由主義国家は、今、中国という共産党独裁の全体主義国家と敵対しつつある。トランプはやりそうである。コロナ禍は、世界を中国の正体に気づかせた。

 日本は、中国との従来の関係性を続けるべき理由はない。(日本を滅ぼしたい人たちは別として)

 

ちなみに、尖閣を中国に実効支配され、軍事施設を作るような状態になったら、取り返すには「戦争」しかなくなるだろう。

 

今この状態で、まともに戦える体制を整えれば、中国は、負けると分かっている戦はしないので、追い払える可能性もある。(要するに、戦争反対、平和主義を掲げる左翼の口車に乗れば乗るほど戦争が不可避になる)抵抗せずに無血侵略されたとしても、中国は日本人を米中戦争のコマに使い民族浄化も図るだろう。中国共産党とは、そういうことをやる国家である。

 

hanada-plus.jp

 

 現在、米国がトランプ大統領であることは、日本にとって間違いなく〈幸い〉である。

尖閣諸島に米軍基地設置 というこの計画は、日米の国益が合致しているからであり、言い換えれば、「国益が合致している限りは戦える」ということである。

条件は、日本が共に戦う意志があるか否か、である。現実化するか否かはわからないが、現実化するなら、日本はその選択を突きつけられる事になる。

想像するに、左翼は全力で妨害するのではないかと思う。

 

中共が尖閣侵略を焦っているのは、尖閣に米軍基地を設置されたらアウトだと思っているからではないか?だから、実効支配の実績を作りたいのだろう。

 

裏では、言論工作を積み重ね、左翼を出先機関にマスメディアなどをオルグしてきたわけだが、中共の実態を知らされていない国民の世論次第では、尖閣の米軍基地設置は実現しない可能性もある。

 

こうした、ゾッとする現実になぜ今の日本国民は、関心を持たないのか?

 

10年ぐらい前の発言だが、堀江貴文氏は、「尖閣上げちゃえば」と言って物議を醸し出した。

news.livedoor.com

 

堀江氏は、上の記事で

「尖閣諸島問題によってすでに日本は政治的に混乱している。この問題にばかりかまっていたら、日本の国益がそこなわれる」とし、「『中国が沖縄を占領する』という心配は現実的ではない。中国が沖縄を占領すれば、世界が黙っていない。中国はほかの国との交易が困難になり、経済や貿易に差し支える。コスト的に考えて『中国侵略』説は現実的にありえない」と説明した。

 

 と、言ってたわけだが、予測は外れた、ということになる。

 

また、同記事内に、

同記者によると、実際、日本の政界や経済界では領土問題をうやむやにしてしまおうと主張する声が上がっている。日本は中国、ロシア、韓国との間にいずれも領土問題を抱えており、中国に対してだけ強硬姿勢、他の国には「軟弱」な姿勢をとれば、国民の非難がさらに高まる。しかし日本がどの国に対しても強硬姿勢で臨めば、中国、ロシア、韓国が結託して日本に対抗する恐れがある。そうなれば日本はさらに苦しい状況に陥る羽目になるだろう。

 とある。10年前の政界や経済界のこうした「甘い」予測が現在の危機を招いている、とも言える。

 

news.mynavi.jp

 

この記事など読むと、堀江氏がいかに、中国共産党について無知か、わかるのだが、問題は、こうした国防意識ゼロの人が、オピニオン・リーダー(世論誘導者)として祭り上げられている現状である。(Digoも清春もホリエモンには一目置いている)

 

堀江氏が時代を読む優れた才覚を持っていることは承知しているが、ライブドア事件は、「違法すれすれのマネーゲーム」で逮捕されたが、彼がとった手法、テクニックは道義的に不法であり、刑事罰は当然のものだった。「儲けたもんが勝ち」という倫理観は、日本的精神とはかけ離れたものだ。

 

 思うに、今の日本社会は、かつての日本文明の本質にあった精神性を失っている。残されたリアリズムはお金や生活保障など「いかに生存するか」である。

 社会がそれを問題にしなくなった以上、「いかに生きるか」を問題にするのは、個々の人間の意識である。

 家畜的生き方を良しとするか、それとも内心の求めに従い、自分の生命の発露を求めるか。自分達の子供、子孫に日本を残したいと思うのか否か?

 

 現在の危機を危機として認識するなら(尖閣以外の他の問題も含め)、根本的な解決法は、切断された日本固有の精神性を一人一人の内面においてほつれを解いて結び直す(価値観を再構成する)ことではないか、と私には思える。