少数者と武士道

執行草船を読み込むことをメインに

冠岳登山と……謎のアナスタシア

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5段重ねの天狗岩

 明日から仕事、再開(通所リハはまだ休みだが、病棟の介護業務に回っているので、それプラス地域協議会の事務仕事で忙しくなりそうなので、行きたかった冠岳登山に出かける。(昨日、急に「呼ばれている」感じがして決めた)

 

 徐福像、駐車場から出発、阿弥陀堂で一休みして、西嶽山頂へ。結構、ハード・トレッキングではあったけど、マイナス・イオンの中、久々の汗!爽快。

 1時間半ぐらい?で山頂付近の天狗岳に着く。一枚10トンぐらいの座布団みたいな巨石が5段積み重ねてある(一体どうやって?自然に重なるものか?)ところから見渡すと眺望がすごい。実際に登って「やはりここは古代の何か祭祀場か神道的な『ウケヒ』か何かの聖なる場所だったのではという確信を深める。

 山頂の神社の祭神はスサノオ。スサノオらしい女性的な柔らかい雰囲気(大本では、内面性は女性性を持つ神格)鳥居の周りは山草の花が…可愛いらしい。

 オニギリを食べながら、ちょうど出くわした三人連れのグループと、なぜかスピリチュアル系というか精神世界っぽい話に花が咲く。一人はセラピスト、一人はドイツ人で神道に興味があるとのこと。コロナで帰りそびれて明日、帰るという。もう一人の方は、シュタイナー学校に興味があってドイツ留学したことのある人(ルドルフ・シュタイナーは20世紀前半のオカルティスト、哲学者だが彼の霊学から生み出された活動は現在もドイツの文化に結構浸透している様子)

 帰り道は、別ルートで変化に富んだ風景を堪能。基本、一人でいるのが好きなのだが、こうして人と話ししながら古代遺跡を巡るトレッキングも楽しいものだ(勝手に古代遺跡にしてるし)しかし、こういう偶然というのはどれだけの確率で起きるのものなのだろう・・・

 スサノオを祭神にした場での巡り合わせだし、神道系はこういう偶然にメッセージを託すことが多い。……何を伝えようとしているのだろう?と時折、頭をかすめつつも、話をしながら、精神世界に深い関心や意識を持っているのにちょっと驚く。

 一つ学んだのは、人との対話というのは、何かいろんなものが発生するなぁ、ということで、一方的情報発信だけでなく、こういう対話による発生を今後はもっと大事にしようと思った。(対話による発生 → 一人では得られない気づき、とか)

 

伝達というのは、相手があって成り立つものだが、自分のような人間は、そういう基本を忘れがちである。そういうサトシだったのだろうか・・・?

 

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10t5段重ね。しかも崖っぷちに…

 

 

 足場の悪い登山道を歩くときは、つい足元ばかり見てしまう。

 周囲の風景や、目的地のことより、意識が足元に集中する。なんとなく、コロナで先が見えない今の社会全般の状態もこれに近いのかなぁ・・・と。で、コロナが治った後の社会で人々が必要とするのはなんだろうかと思うと、スピリチュアルな知識ではないか、と。心の拠り所というか、自分の進むべき道を知りたいという欲求。信仰の対象のようなものだ。しかし、今日、三人と話し、感じたのは、現代はもう組織宗教や、ご利益宗教(現世利益キョウ)のような目先のものでは間に合わないだろう、ということだ。スピリチュアルやヒーリングでも偽物は淘汰され通用しなくなるのではないか?そういう予感がした。

 

 帰り際に、ドイツ留学した人が、紹介してくれた本があった。「アナスタシア(響きわたるシベリア杉)」という本。Amazonで書評をに目を通すと……

 

最初に目についたのは、「アナスタシアは実在の人物ではないから詐欺だ!」という意見が・・・。しかし自分的には、実在の人間で無くても、本の中の洞察が本物で価値ある内容ならOKというスタンス。(カタカムナ文献も楢崎皐月に巻物を持ってきた芦屋董満は、狐だったかも、と言われたり楢崎の創作だ、と言われたりしても、文献の内容が高度の哲理であれば出自はどうでもよく……)

で、次に目についたのが、以下の感想

 

『(ウラジーミル・メグレ著アナスタシア1巻p265)あなたがたは占星術を信じているし、惑星の配列についても完璧に信じていて梅雨ほどの疑いも持っていない。この信念は闇の勢力の仕掛けによってもたらされた。この信念が並行する光の側の時間を遅くし、闇の側を先行させて大きくする機会を与えてしまった。(闇の勢力の時間領域の支配下に入った。)この信念が、真実に気づき、地球に存在することの本質に目覚めることから、人々を遠ざけている。(中略)惑星やほかの星たちも、人間を導いたり動かしたりすることはなく、むしろ人間が潜在意識をとおしてすべての惑星を動かす。ひとりの人間が第二の太陽が空に輝きだすことを願ってもそれは現れない。惑星たちに大惨事が起こらないように物事は調整されているから。でも、もし、全人類が同時に、第二の太陽の出現を願ったら、それは本当に現れる。星占いをするなら、基本的な要素として、何よりもまず、次の項目を考慮にいれないといけない。その人の現在の気づきのレベル、意志と精神の強さ、魂の向上心、どれだけ意識的に日常生活を送るか、こういったものが大切。(中略)私が本(アナスタシアシリーズ)に並べていく文字の組み合わせや配列が、どのように人々を癒し、啓発するかについて話すと、あなたはただ気のふれた女が空想にふけっているとしか思わない。理解できないから私を信じられない。』

 上記の文章で2点気づきがあったのでシェアします。

 気づき1:2019年9月27日、戸塚で寺田本家の寺田優さんと、明治学院大学教授の辻信一さんの対談がありました。辻さんはインドのラダックから帰国したばかりだそうです。ラダックが大好きで10年間で5回も通われているそうです。そのラダックで機械化が進み、米の脱穀がすべて機械に変わってしまったそうなのです。機械化の前は脱穀の工程すべてに歌があり、歌を歌いながら作業をしていたそうです。脱穀の工程のうち、籾を籾殻と分別する工程があり、この工程には風が不可欠(籾殻を吹き飛ばす必要ああるため)なのだそうです。彼が経験するに、休憩中は風が止み、さあ仕事に取り掛かろうと歌を歌い始めると風が吹く。当初、それは偶然だろうと思っていたそうなのですが、実際何度やってもそうなので、歌が風を呼んでいるんだということを実感されたそうなのです。この歌と風の関係は、まさしくアナスタシアが潜在意識で惑星を動かせるという原理と全くいっしょなのだなぁと今朝気がつきました。

 気づき2:光より速いものは存在しないという理科でならった物理学的な現象を、全てに盲目的にあてはめてしまっていることが、気づきを、思考の速度を遅らせて、闇の勢力の時間領域の中にからめとられている原因ではないかと思うのです。光速より速いものは存在しないはずなのに、最近の科学では宇宙は光速より早く膨張しているという説もでてきました。光速と宇宙の膨張のギャップがアナスタシアのいう光の側の時間を相対的に遅くしている原因だと思うのです。実際は、意識は光速を超えます。その証拠にビックバンの1秒前、138億年の昔と今を一瞬でつなぎます。(光の速さは秒速30万キロと限定されているため、遠くにあるものほど、古いことになります。実際、最新鋭の地上巨大望遠鏡や宇宙望遠鏡によって、宇宙が誕生してからまだ5億年(現在からさかのぼること133億年)、宇宙の大きさが現在の10分の1だった頃の銀河が観測されています。ビッグバンを起点に宇宙が膨張しているので、ビッグバンの場所が宇宙の中心だと思いたくなります。しかし、宇宙原理により宇宙には中心がありません。宇宙全体がビッグバンを起こしたビッグバンのとき、宇宙は点でしかありませんでした。この点が宇宙のすべてなので、点には内側しかなく、点には外側がありません。ビッグバンの点が膨張して現在の宇宙になりました。ビッグバン以後、宇宙のすべての場所が均等に膨張しているため、ビッグバンは宇宙のすべての場所で起こったとも言えます。)

 人間は意識を通して、ビックバン一秒前の時間も空間も存在しない、外側がなく内側しか存在しないビックバンの点の中に入ることもできます。天之御中主神(アメノミナカヌシ:古事記上の最高神)、大日如来(密教の最高仏)、アッラー(イスラム教の唯一神)、ヤハウェ(ユダヤ教の唯一神)、サムシンググレート(科学者村上氏の著作)の意識です。

 この意識が、地球の命のすべてに流れています。ビックバン1秒前の『原点』の意識。そこで天之御中主神の意識はどのような感覚でしょうか。1秒後に生まれる時空間、138億年後の緑豊かな地球、すべてその時に象られました。(人間がつくる人工物も同じ原理です。方眼紙から、サイコロをカッターで作るときに設計図をイメージできなければ、決して方眼紙は立方体のサイコロ形にはなりません。)138億年と1秒前の『原点』の意識。なんとなく、ワクワク感や広がってくる感覚がありませんか?

 成功法則などで掲げられる積極的心構え、ポジティブシンキングは、必ず消極的な状態やネガティブな状況とセットになってしまいます。なぜなら、それはビックバン後の時空ができて、陰陽が生まれた後の意識だからです。裏が無い紙は存在できないと同じように、『原点』の意識まで人間が戻ることができないと、ポジティブは必ずネガティブをつれてきてしまうのです。

 よく、私たちはプロフェショナルな方で喜んで仕事をされている方を見かけます。 今年引退されましたが、「麺家 うえだ」の上田みさえ(76)さんもその一人です。彼女は70歳を過ぎてから作業中に骨折を繰り返すようなこともありながら、引退する直前まで、平均睡眠時間はわずか3時間。仕込みのため、定休日の月曜以外は店に寝泊りこむ生活もありました。その生活を20年も続けてきました。

 これを、ポジティブシンキングだけで説明がどうしてもつかないのです。『原点』の意識、拡大・成長、伸びやかになるエネルギーの恩恵や感覚を抱いていないと、このような人間業を超えた努力を、根性だけで続けることは限界があります。

 このように活躍されている方は、みな意識的にせよ、無意識的にせよ『原点』の意識とつながり活用されているように思います。

 話は長くなりましたが、『原点』を意識すること、『原点』の天之御中主神の意識をすることで、善悪や、正邪などの判断から離れ、ただ慈愛に満ちた伸張のエネルギーに触れることができます。ネガティブになったときなどにぜひお試しください。長文お読みいただきありがとうございます。

 

「ビックバン1秒前の『原点』の意識。そこで天之御中主神の意識はどのような感覚」

「『原点』の意識まで人間が戻ることができないと、ポジティブは必ずネガティブをつれてきてしまう」

「『原点』の意識、拡大・成長、伸びやかになるエネルギーの恩恵や感覚を抱いていないと、このような人間業を超えた努力を、根性だけで続けることは限界があります。」

「このように活躍されている方は、みな意識的にせよ、無意識的にせよ『原点』の意識とつながり活用されているように思います」

「原点』を意識すること、『原点』の天之御中主神の意識をすることで、善悪や、正邪などの判断から離れ、ただ慈愛に満ちた伸張のエネルギーに触れることができ」

 

あ、これカタカムナでいう『アマナとカムナの重疂状態』と似てるなぁ……と思い、アナスタシアを声音符で解すると、確かにアマナの『伝達者』的な意味が感じられる構成かな、と思われた。

この意味での『原点』=天之御中主神という理解もカタカムナ的にも正解なんだけど、でも、これは読者の方の見解?

 

アナスタシアによると
この本の文章は潜在意識にいい作用を働きかける作りになっているようです。
大和言葉がふんだんに使われていて、
しっとりと優しい文章です。
これをきっかけに、日本古来の大和言葉の本を読みました。
大和言葉のもつ奥ゆかしさや、マイナスなことも
迫害せず優しく包んで、のけものにしない懐の大きさを思い知りました。
この国には何て精神性の高い、素敵な言葉があるんだろう。
大和言葉は、上品なお年寄りが使う綺麗な言葉くらいにしか思ってなかったんですけど、
私も少しずつ使いたいです。って大和言葉の話になってる。

 

  ふーん、大和言葉、ね。ちょっと読んでみようかな。