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ROCKと武士道とマックス・リヒター

Vivid Colorsと統制経済その2

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 現在、私は通所リハビリの部門が休業中なので、病棟で介護補助業務をやっているのだが、今日、たまたまリハビリ部門の部長と話した。「8日再開は厳しいかも」という感じであった。何しろ先が見えない。

 政府は、緊急事態宣言を延長しそうな雰囲気が濃厚だし、高齢者の致死率が高いだけに通所介護業は慎重にならざる得ない・・・・

 個人的には、新緑のいい季節に送迎で車で回れないのは残念だけど、幸い病棟の看護師さんたちもいい人たちで、久々の介護業務も新鮮でそれなりに楽しめるので、まぁ、恵まれている立場である。しかし、社会的混乱の規模の大きさと、経済的打撃の大きさに、日本社会の行方に対して流石に抜き差しならない不安を覚える。

 

 

 「感染症対策」と「経済の両立」を考えるべき、という釈量子の意見を基に考察してみる

 

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 不安感を形成する一つの懸念は、このまま市場経済が崩壊し、戦時中の統制経済化の方向に行くような胚芽が、行政や政府の発言にちらっと見えることだ。(日本人は非常時は、個人の自由を抑制し協力して和する、というよく言えば協調性が高いが、悪く言えば集団主義が強い)

 私はパチンコをしないのでパチンコ店が自粛休業に従おうと従うまいとなんの支障もないのだが、自粛要請に応じない店を実名公表したり、西村大臣のように「休業指示に従わない場合は、法的罰則を設ける可能性にも言及」したり、マスコミが魔女狩りみたいなことをやったりすることに寒気を感じる。(今日、市役所から「県外移動時の報告云々」の通達があり、ここまでしなくてはならないのか疑問を感じる)

「ウイルスとの戦いに官民全体で(挙国一致して)戦おう」的な風潮で国民全体を統制しようとするのは「怪しい」と感じる。

 感染症対策に関しては、長期化するのなら、スウェーデンがやっているように緩い規制で、集団免疫、抗体を獲得して乗り越える方が現実的だと思うし、ウイルス相手に経済活動を犠牲にしてでも挙国一致して戦うという方向に突っ走るより、混乱に乗じて不穏な動きを活性化させている中国に対する警戒や対策を講じながら戦略を練ることが危機対策として火急ではないか。

 

 武漢発の新型コロナウイルスの世界への爆発的な感染拡大に関しては、初期の情報隠蔽を含めて、中国共産党の関わりは不透明なことが多い。

 そこらへんの真相究明もマスコミや政治家・官僚には重要な仕事なはずだが、(ウイルス対策、経済対策含め、中国と今後どう拘るのかという、国の命運が掛った事案だから)、中国に忖度したり、言論自粛している場合ではないのだが、現状、「中国も被害者だから協力してウイルスと戦いましょう」的なうわべのきれいごとだけがメディアの俎上で流通しているように見える。

こうした風潮自体も、メディア言論界が中国共産党の影響下にあるように思えて、戦前の言論統制を彷彿とさせる。

トヨタやパナソニックなどの大企業が中国進出の踵を未だに返さずに、日本の技術が流出している事態を改めないのは、戦前のナチスドイツと同盟を結んだ失策に等しい。

中国がとんでもない人権蹂躙国家であり、侵略国家であるという現実から目を逸らし、親中で心中しようというのは、何よりもまず、倫理道徳的に恥ずべきことだ。

 今後、中国が国際社会で独裁全体主義国家(自国の利益のために他国侵略になりふり構わない無法国家)としての正体が露わになり、その烙印を背負って行くのは免れないだろうことが予測されるのに、その中国と手を切って、真の自由主義国家としての意志を明確にしてやっていこうという世論が高まらないのはおかしいし、日本人として恥ずべきことだと思うのだが。

(なぜ、そういう当たり前の世論が高まらないのかといえば、あの戦争で「日本は侵略国で中国は被害者」という誤った歴史認識を左翼が日本人に刷り込んだからだが、洗脳の解けないサヨクはなまあたたく放置すればいい)

日本人の多くは(サイレントマジョリティーは)中国に対して警戒心を抱いている。

親中政治家、社会主義志向官僚、中国利権企業、自虐史観を盲信する左翼知識人というエセエリート層と一般庶民の感覚は乖離している。

 

戦前の日本は、世界不況→知識人の反資本主義・共産主義志向→統制経済→国家社会主義化→引き返せない戦争(敗戦革命路線)であった。現代日本の危機は、市場経済の裏で温存され続けた官制経済支配→社会統制→国家社会主義化→中共属国化(被侵略国化)がリアルな可能性として存在することである。

コロナ・ショックで市場経済が崩壊すれば、官僚と手を結んだ政治家による統制経済体制(配給制やインフラの国営化)を敷かれる可能性があり、そうなるとまたしても敗戦革命路線である・・・

 

現在の武漢ウイルスの感染拡大を、必要以上に〈脅威〉として演出し『ウイルスとの戦争』であるとマスメディアが煽り、その〈戦い〉を口実に、官僚・政府・行政が社会統制の方向に進展しだしたら注意しなくてはならない、と思っている。

 

 

戦前の統制経済体制について

以下は、自己学習のためのテキスト貼り付けなので、あまりまとまってません。

一応、資料として。

 

早分かり!! 鳩にも分かる『戦前・戦後日本の政治史』 (3)

https://ncode.syosetu.com/n2990h/29/

 満州は、石原莞爾による統制経済の実験国だった、という記述

 

早分かり!! 鳩にも分かる『戦前・戦後日本の政治史』 (4)

https://ncode.syosetu.com/n2990h/30/

 

彼らは何をしたのか?

 いってみれば、現代まで続く、日本の経済体制、株式会社の仕組みを作ったのである。

 会社の目的は、「利潤」でなく、「生産力の拡大」を重視する方針に転換した。つまり、資本家を排除して、労働者の地位を向上させる。ボーナスなどだ。そして、国民の貯金をメガバンク、銀行に集めて、それを、自動車・鉄鋼などの重要産業に優先して配分する方法だ。その配分を、官僚主導で行う。

 これが、「官製経済体制」、すなわち、日本の経済システムである。

 宮崎たちは、これを、「満州」に作ろうとしたわけだ。さらに、宮崎だけではない。気鋭満々たる省庁エリートたちが、満州に訪れる。その中に、「岸信介」もいた。彼らは、その後、「革新官僚」といわれ、日本の戦時体制の構築に全力を挙げることになる。

 ところが、1937年、石原・宮崎の構想は打ち破れる。なぜなら、この年、「盧溝橋事件」が起こり、日本は「日中戦争」に没入してゆく。これは、石原にすれば、余りにも早すぎた戦争であった。結果、日中戦争は、南京へと戦線を拡大しすぎて、泥沼化してゆく。

 こうして、石原は、1940年、「日満研究会」を解散した。

 男の夢は潰えた。

 しかし、日本は、その後、石原・宮崎が描いた構想のもとを突き抜けてゆく。

 それは、一つに、岸らをはじめとする革新官僚が、帰国後、政府の重要な地位を任されたからだ。

 

早分かり!! 鳩にも分かる『戦前・戦後日本の政治史』 (5)

https://ncode.syosetu.com/n2990h/32/

 

 1937年・昭和12年、『盧溝橋事件』。8年に及ぶ日中戦争のなか、戦争の即時和平を主張していた石原莞爾は、同じ軍部の戦線拡大派に押され、翌年、失脚する。

 しかし、軍部は、日中戦争を継続するためにも、石原がデザインした、「統制経済システム」を確立しなければならかった。なぜなら、戦争の長期化で、軍需物資の生産増大が必要だったからだ。政府は、限られた資源を、統制により、民間企業に、有効に分配することで、利益よりも生産力の増大を図ることが最優先事項であった。

 

 1937年10月、「近衛文麿内閣」の成立。

 ここに、民間企業を統制するための官庁が置かれた。それが、「企画院」とよばれるものだ。企画院には、満州国家の創立に関わった官僚が多く入庁した。そして、1939年、その指導的立場であった、岸信介が帰国する。

 岸の帰国で、完全に、日本の経済市場は、規制体系、すなわち、官製経済体制に移行し始めた。もちろん、財界は強烈に反発した。岸も、商工次官に就いたものの、財界の圧力で、一度は辞任を余儀なくされた。

 1940年、「第二次近衛文麿内閣」が挙国一致内閣として成立。

 この年、政友会、民政党などの既成政党が、一斉に解散して、「大政翼賛会」に流れ込み、政府のやることに何でも片棒をかつぐ大政翼賛政治となる。それゆえ、「1940年体制」というのも、語源はないらしいが、中央集権型の日本政治システムの元年といった意味で、とても象徴的なネーミングである。

 

 戦争は激化した。

 アメリカの経済封鎖が起こる。それを受け、1941年、「東条英機内閣」が発足。第三次近衛文麿から政権を引き継いだのだった。岸も、次官の座を追われていたものの、東条内閣で商工大臣の座に就いた。

 これは、いってみれば、「戦時経済体制」、つまり、「統制経済体制」への転換である。

 

 「戦時経済体制」=「統制経済体制」~その特徴~

 ①「産業報告会」で、労使一体となった生産増強(賃金・ボーナスなどで妥協しあう、欧米の「対立型労働組合」ではなく、「共存型労働組合」とでもいおうか。つまり、日本的。

 ②「メガバンク制」。株式発行による、直接金融の資金調達方法ではなく、政府指定の大手銀行から借り入れを行う間接金融主体の体制。銀行の経営に、政府の保証が与えられる。どんどん貸して、借りろということ。

 ③「官僚主導」。企業の利益追求の否定。公益、つまり、戦争継続のための生産力拡大。そのために、統制会で資源を企業に振り分け、統制会の会長を任命し、政府が間接的に経営管理する。

 

 こうして、日本は戦争に敗北するまで、狂った犬のように、突っ走る。

 ただ押さえて欲しいのは、日本のこうした「統制経済体制」が完全に確立されるのは、戦後の復興期であることだ。日本は敗戦して、すべてが、いったんはリセットされる。だが、それは、アメリカの思惑により、一度滅んだ統制経済体制は、戦時よりも、さらに強固となって、今も厳然と存在しているのである。

 

以上の記述は、戦前の統制経済についてこの記事を書いた筆者による一面の記述である。

 私が知るところでは、近衛政権は、国家電力法、総動員法、配給制など、ソ連の計画経済を模した政策を企画院の革新官僚らと行なっている。

 補足だが、上の記述にあるように「戦争を継続するために統制経済体制が必要だった」というより、統制経済体制→共産主義体制にしたくて、日中戦争を近衛文麿は泥沼化させた、というのがほんん塔のようです。

 共産主義とは、中国、北朝鮮を見れば分かる通り、『平等』や『労働者』のためにという大義名分のもとに、政府と官僚が絶対権力を手にできる絶対不平等社会を実現するシステムである。しかし、戦前、日本の知識人の多くが洗脳されたマルクス主義により、共産主義は自由資本主義経済に代わる正義だったのである。この自称『進歩的知識人』が生き延び続けているのが、今の日本であり、災いの元凶だと思う次第です。

 

官僚支配のDNA(議会制民主主義がお飾りになってしまう日本の伝統)のタネは明治維新の時の薩長支配あたりからあるようだが、戦後のGHQの占領政策下でも官僚体制は生き延び、戦後の経済復興に寄与したのも事実だが、数々の特殊法人など市場経済の発展を阻害する寄生組織を産み、「失われた30年」の元凶を作った。(← 私の仮定的認識です)

 

戦後、社会主義経済を復活させた岸信介

yuyawatase.blog.jp

 

自由民主党が生まれたときに何が起きたのか。
1955年、山本勝市先生が所属をしていた自由党は日本民主党と合併して自由民主党が生まれることになりました。

その際、現在までに至る病根が自由民主党の中に埋め込まれたことが山本勝市先生の著書である「福祉国家亡国論」の中に記されています。

同書の中で革新官僚として名を馳せた岸信介氏が幹事長として絶大な権力を振るい、自由民主党の中から自由主義経済の芽を摘み取り、政府が社会を変える様々な「計画」がねじ込まれたことが指摘されています。

岸信介氏は現在の安倍首相の祖父に当たる人物です。

山本勝先生が所属していた自由党の党綱領には「計画」という言葉は存在せず、岸信介氏が所属していた日本民主党の党綱領には「計画」が明記されていたことから、その路線対立は深刻なものだったことが伺われます。

自由経済の担い手であった自由党が計画経済の申し子である岸信介氏に飲み込まれた悲劇、それが自由民主党の結党の意味することだったのです。

 

自由民主党の中に山本勝市先生のDNAは残っているのか

2015年現在の自由民主党は表面的には自由経済の体制の大切さを主張していますが、毎年膨張し続ける政府予算と政府債務の有り様を見れば、旧自由党のエートスはほぼ失われた状況にあると言えます。

自由民主党は岸信介の孫である安倍首相が党首を務めていることからして、もはや完全に岸信介氏に率いられた旧民主党の系譜に当たる勢力によって支配された姿を晒しているわけです。

 

 

と、歴史を振り返ると、日本における官制支配体制というのは非常に強固なものだな、と思われ。

 

L'Arc~en~Ciel - Vivid Colors (Bass)

youtu.be

 

ラルクのtetuは性格嫌いだが、ベースはオリジナリティあるなぁ。

ベースラインが華やかというかPOPなのがラルクの魅力でもあるんだな、と。

人は性格では判断できませんな。

 

youtu.be