道徳と知性

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蛍草 奈々の剣

『蛍草 奈々の剣』の最終話を観る。

ストーリーのクライマックスは、〈物語もの〉の定番スタイルであったが、不思議と感動した。

クライマックス前の、死を覚悟した仇討ちの前の殺陣というのか、真剣を持つ重みや緊張感がよく伝わってきた。(役者さんは清原果耶という女優で、朝ドラの「なつぞら」のなつの行方不明の妹役も演じた人。凛とした清楚感があり、武士の娘役にしっかり嵌っていたが、日本刀を武器ではなく自己を高めるツルギとして表現した演技力、力量はすごい。いい女優さんになるのではないだろうか)

 

自分の命をかけて(斬り殺されるかもしれないリスクを覚悟で)父親の濡れ衣を晴らすことと自分の主人(あるじ)の冤罪を晴らすための仇討ちの最中に訴状を出す奈々の勇により、周囲の変化(若殿の自立、マンネリ家老の覚醒)がもたらされる・・・という〈問題解決-決着〉に加え、悪役、轟の切腹シーンでの余韻の中に悔い改めを想像させるような演出など、最終話のドラマとしての完成度は高かったと思う。

 

 それにしても、切腹や仇討ちという一見、野蛮とも思える慣習があった江戸の時代の方が、現代よりもはるかに凛とした道徳と知性、道義心が磨かれていたように思えるのだが、何故なのだろう?

(いじめによる自殺のドキュメンタリーを見たせいで余計にそう思った)

 

 しかし、一方で『武家の娘でありながら、庶民に落ちても道義心を捨てずに、貫き通す娘』をそれなりにリアルに演じられる若い世代が誕生しているのも事実である。

 

 民族的資質として定着した伝統的な精神性というものは、近代以降の(明治、大正以降の)精神文化により徐々に狂わされ、劣化、あるいは麻痺してしまったとしても、条件が整えば再び呼び覚まされる可能性もあるのではないか? という予感も感じなくはない。