人間の脳に独自にプログラミングされている衝動

人間の行動は無意識に規定されている?

今日、送迎の仕事で相方と、うつ病の話から、カウンセリング→信用しない、という話になり、精神分析の祖であるフロイトの話をした。

 フロイトは、心理学の祖である。その理由は、彼が〈無意識〉というか、〈潜在意識〉の発見者、という功績のためである。

 というか、「人間は、潜在意識によりその行動が規制されている……」というようなことを、証明したんじゃないか、と。確か。(← 記憶不正確)

エロスとタナトスへの還元主義による人間の矮小化

「人間が、潜在意識に規定される」という発見はすごいと思う。
 だが、「どうもな」と思うのは、人間の根源的衝動を〈エロスとタナトス〉に限定したことだ。
 つまり、性衝動と死への衝動に人間は支配されている、というような説だ。
 フロイトの弟子のユングは「個性化の理論」などでアニマとかアニムス(女性性の原型、男性性の原型)とか、パーソナリティーの統合、自己実現の観念などを進展させ、そしてマズローの5段階理論(よく見かけるピラミッドのモデル)社会的承認欲求とか、フロイトの説ではカバーしきれないところを補う形で心理学は発展してきた(←個人の意見です)

 フロイトの説に戻る。性衝動はわかるが、「死への衝動」ってなんだ?わけわからん、というのが正直なところだ。
 (このあたりの、還元主義というのか、唯物主義的な発想は、マルクス主義との共通性を感じさせる。ペシミズムというのか……一種の機械論というか、人間を即物的な物として見るような冷たさ。しかも合理主義にみせかけて不合理)
 フロイトは「無意識の発見」という偉大な功績にも関わらず、人間を矮小化して観るような世界観を生み出したことは罪だったと思うのだ。

 

『承認されたい』は根源的な欲求に近い

 精神分析の臨床現場での、カウンセリングなどで患者に自由に話させ、潜在意識に封じ込められた何らかの障害の原因になっている記憶に光をあることで、解消する、というのも理屈はわかるが、実際のところそういう手法で問題が解消されるのは難しいのでは? というのが感想である。カウンセラーの側に膨大なエネルギーを要するし、ネックになっている記憶や心の傷の取り扱いは難しいからだ。

 しかし、逆に、「話を聞いてもらって、自分の気持ちを共感的にわかってもらう」だけでわだかまりが解消されるケースもある。
 これは、「承認されたい」という欲求が想像以上に人間は強い生き物だからだ。

 話のテーマが何だったかわかんなくなってきたが……
 そうだ、人間の根本的欲求。
 性とか食とか、そういう生命維持活動の欲求は置いといて、精神的欲求として……まず、普遍的には「承認される(自分をわかってもらう、自分の気持ちをわかってもらう)」ことを欲する衝動は、自己の存在意義に関わるものである。

 で、非大衆的な感受性の人間がいたとしよう。感受性が鋭い人間と言い換えてもいい。
 そういう人間が、他者の承認を得ることは難しい。
 臨床現場で、患者がそういうタイプだった場合、優れたカウンセラーは、「理解できなくても共感的に傾聴する術」をわきまえているから、患者は「承認された」という一時的満足感は得るだろう。が、一時的なものでしかない。

感受性の鋭い人間は、社会的に孤独になりやすい

現代社会は社会的疎外感を感じやすい世界である。ある種のタイプには特に。
テクノロジーは飛躍的に進歩し、インターネットによる双方向コミュニケーションの発展にも寄与したことは大きい成果だとおもう。
反面、全く進歩してないとおもうのは「人間観」である。

ここで、フロイトの『エロスとタナトス』の(性と死への衝動が人間の欲求の原型であるという)ドグマを引き摺る心理学的人間観を無視して、私なりの人間観を書いてみる。

人間は自らの生命の完全発揮を求めて生きている
生命の完全発揮には、正しい方向軸が必要である
正しい方向軸を自分の生命活動に確立するには、学習と鍛錬が必要である

生きることは反復である。毎日、同じ職場に行き、同じ仕事をする。(しかし、全く同じことの繰り返しというのはない。微細な変化の積み重ねである)→ だから正しい方向軸が必要(例えば、同じ仕事でも向上的に行えば自己開発の機会になる)

人間が、自らの生命の完全発揮を求めて生きているということは、つまり、潜在能力を発揮し抜いて生きようとしている、ということである。
(植物が、太陽の光に向かって生育し、開花しようとたんたんと生命活動を営むのと相似している)
 (人間も他の生物と同じく、与えられた状況のなかで精いっぱい自分の生命を開花させようとして生きるのが自然な姿ではないか?)

 

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人間の脳に独自にプログラミングされている衝動は?

 もうひとつ、重要な人間が持たされている本質的な根源的な欲求として「根源を遡る性(なり)」というのもあると思う。
 例えば、根源とは〈カミ〉であったりする。人間の脳がこれだけの機能性を持ち、言葉、認識能力、伝達能力を持ったのは、根本的には〈カミを知りたい〉という欲求が、プログラミングされているからだと自分は観る。
 しかし、そういう欲求を強く持つ人間は、少数者である。
 そうした少数者を現代社会は、あたかも必要のない人間のように見做しているフシがある。そういうタイプの人間が生きる道が現代社会にはあまりない。(つまり完全発揮する道がない)

 もし仮に、神が人間に〈カミ自身を認識するために進化した脳〉を与えた、と仮定するなら、〈カミを知りたい〉衝動を持つ人間を不要の人間として〈大衆メッキ〉して葬る現代社会は、ある意味神への冒涜ともいえるような気もするのだが。