少数者と武士道

執行草船を読み込むことをメインに

復元力

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昨日は不思議な天気だった
送迎の帰り路に、造船所の前を通り、 Oさんが「最近、東南アジア系の若い子がたくさん働いてる」と言う。
「一生懸命、よく働いているって」「あぁ、そうなんだ」「日本人より忍耐力とかあるって」「向こうはまだ生活が厳しいからかな」
「そうね。日本みたいにまだ豊かじゃないから・・・」「そういえば、マグロ漁船なんかの船員も東南アジア系の若い子、多いね」
「きつい仕事は日本の若い子には敬遠されてすぐ辞めちゃうらしいわね」
 
確かに、現在、発展中の東南アジアの国々と比べたら日本の教育環境は過保護かも。昔は小学生でも肥後ナイフとかで鉛筆を削ったりできたけど、今はそういうのは危険物として取り上げられてしまっている。爆竹を鳴らして遊ぶ、なんてのも見かけない。
 
過保護と言えば過保護、温室と言えば温室・・・と言える。今の時代環境は(その裏では許しがたい虐待、苛めなどがあり・・・)歪な時代だと思う。
 
日本も明治以前、子供の教育とか躾はめっぽう厳しかった。ことに精神性を鍛える、ということでは、欧米から来た外国人が、子供の礼儀正しさ、大人並みの忍耐力や責任感の強さに驚いたという。
 
自分も、いろんな体験を経て、この歳になって思うのは「甘やかされて育つより、厳しく育てられた方が良かったかな」と思ったりする。
かつて、日本の教育、しつけの厳しさというのは、「徳を高める」のが人間的価値、というのが軸としてあって、それは、日本人という民族的慣習みたいなものだったと思う。そういうスジの通った世界観のようなものが、伝承的に共有されていたことが、日本人の民度を高めていたのだろう。
 
自分が最近、驚かされたのは、宮澤賢治の妹のトシが自分の祖父にあてた手紙の「透徹性」だった。トシも賢治と同じく感受性の鋭い子だったのだろう。ああいう知的透徹性というのは、今の時代環境では発現しうるものなのか?
 
しない、とは言い切れない。だが、かなり迷い苦しむのではないだろうか? 
現代社会が押し付ける価値観にある程度染まらねば生きていけないし、そういう価値観を離脱しても、それに代わる日本人の美徳を発現するような体系的な価値観も見当たらないわけだから、道を探すだけでも一苦労しそうだ。
 
 
明治維新後に切り捨てたもの、戦後教育、戦後のマスメディアの偏向した洗脳などで喪失したものは取り戻せない。復古主義でどうなるものでもない。
 
日本人全体が「骨抜き」になっている、というのは日月神事などが指摘しているわけだが、では、かつての日本人の精神性や気骨を取り戻せるのだろうか?
 
状況的には絶望的だが、私自身はどういうわけか比較的楽観視している。
 
その理由は、日本文明の〈理〉の精神の持つ復元力というものを信じているからだ。
 
現在の混迷した危機の時代の中でも、日本人の中に、そういう〈復元力〉がまだ生きている、と感じるからである。
 
然るべき〈場〉が出来れば、連鎖反応的に復元と再構築が為されうる、という漠然とした予感のようなものを感じるからである。