少数者と武士道

執行草船を読み込むことをメインに

漂泊者

ブログのサブタイトルを「漂泊者のモノローグ」にしたらわりにしっくりきた

 現在私は、親と同居中である。とはいっても母屋と離れた車庫ハウスの一室の板の間の(天井も内張の壁板もない、漁をやってた父親の作業場だった)部屋に住んでいる。ここに定住して10年にはなるようなので、物理的には『脱漂泊者』と言えるかもしれない。

 

 ちなみに、昨年、今頃ヒットしたクイーンの「ボヘミアンラプソディー」という映画(実は私も観た)のタイトル曲の「ボヘミアン」の意味は

世間の習慣など無視して放浪的な生活をする人。
▷ Bohemian (=ボヘミアの住民。移動生活をするジプシーに対して言った称)

 

ということらしい。

私が、自分の人生を振り返って「漂泊者」だな、と思うのは、物理的に流浪の民のようなところがあったこと以上に、〈精神的な漂泊者〉であった、という思いがあるから、である。

 

〈精神的な漂泊者〉とはどういう意味かというと、ざっくばらんに言って「世の中の価値観に馴染めない」「違和感を感じる」ということである。

要するに「変人」「変わり者」と言ってしまうと身もふたもないが、まぁ事実だ。

言葉を変えると、「異端者」と言ってもいい。

 

思想遍歴

色々と問題意識を持つ、というのは、社会適応の上ではけっこうハンディである。

例えば、「なぜ韓国は反日なのか?」とか、介護施設で「胃瘻をつけて延命して当人は幸せと言えるのか?」とか。

なぜ日本の自殺率は高いのか?なぜ中高年の引きこもり人口が多いのか?なども色々と考えさせられる・・・・が答えを見つけるのは難しい。

が、最近、「問題意識を持っていることが自分の強み」だと思えるようにもなってきた。

これは、長年の思想遍歴の紆余曲折の賜物かな、と思ったりする。

 

思えば

リベラル、保守思想、精神世界系などなど・・・いろんな世界に首を突っ込んできたなぁ・・・

 

最後のひともっこ

 もっこというのは土とか運ぶ布製のミのようなものだ。

 徒労と思える旅路の果てで、疲れ果て諦めても諦めきれずに「ひともっこ」を盛る。すると期せずして世界が一変する・・・というようなニュアンス。

 臨界点とか、飽和点とかいうやつだ。物理学では、例えば飽和点によって「結晶化」などが起こる・・・

 

 私が思想遍歴を続けていたのは、「生まれ持った性(さが)」だが(やむにやまれない衝動というやつ)、昨夜、あるひとの文章を読んでいて、「最後のひともっこ」のような感じがした。

 

何のために生まれてきたのか?

 自分が生きる指針を見失っていると感じると、そういう問いかけを自分にする。

 こういった「問いかけ」の答えを見出すは難しい。しかし、問わずにはいられない。

 頭で考えてわかる答えではない。自分の潜在意識やいろんなものを総動員して答えはバックドアからやってくる。そんな感じだ。

 昨夜の「ひともっこ」は、これまでの経験、知識、失敗の数々、そうしたバラバラのものを、枝分かれしていたシナプス網を、結びつけ有機化する「ひともっこ」になった。

 私は、この世の「変わり者」であり、明らかに「社会的成功者」ではない。内的にも生まれ持った自分の「役割」すら果たせなかった愚か者かもしれない。それでも・・・いや、そういう「負け続けている」自分にも、存在意義、生きている意味はまだある・・・という答えを掴めた気はする。

 

 このブログは、その答えを実践する場、実験の場でもある。

 

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