葉隠れ生活の三カ条とその心得

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1 死を生きよ
2 精神の高貴性を目指すことそして〈忍ぶ恋〉
3 好みに耽るべからず
 
・〈仕事〉そして〈家族の場〉とは、生命の完全燃焼の場である
・俗世間の理不尽さと不合理を「そういうもの」として諦め、解毒力を鍛える
・世の中は99.9%の多数者と0.01%の少数者で構成されていることを認識する

葉隠れ三カ条 1〈死〉を生きる (追記)

〈死〉とは何か?

 

〈死〉とは、我々の生命を生み出した本源(ソース)に還元することである。

 

以下、空想である。

本源(ソース)は、〈時間〉や〈自我意識〉の存在しない、生成変化の根源(自動生成するプログラミングに相似した世界?)であり、永遠に進化、グレードアップを続ける姿なき叡知の集合体…いわゆるカミの領域である。

 

で。どんな人間でも死後、平等にこの『本源(ソース)に還元する』のか?と言えば、「そんなことはない」と私は思う。

魂を鍛え、精神の高調波を獲得した人間と、お仕着せで生き、生存の幸福だけを願い、生煮えで生きながらえる人生が、等しくカミの領域に迎え入れられることはないだろう、と考えるのが理である。

 

魂を鍛え抜き、精神の高調波を獲得した人間の精神は、本源(ソース)【叡知の集合体】の中に組み込まれる。自我意識は解体されるが、精神は刻印される。

普遍なるものへの献身。

 

〈死〉を生きる とは、この普遍なるものを常に志向し続けることである。

葉隠れ三カ条 1〈死〉を生きる

〈どう死ぬか〉を決めねば、〈どう生きるか〉も定まらない

 

…いかに生きるか、とは、いかに死ぬか?である。

 

現代生活は、生き方、死に方を自ら選択しない限り、介護施設で生涯を終える人生が半ば自動的に決定づけられる。

私なりの理由で、そういう〈人生の終わり方〉は拒みたい。

介護職を数年やった経験から、私は施設で生活…生涯を終えるのは芳しくない、と思っている。(孤独死の方がまだいい)

 

具体例として…

執行草船が言うような〈完全燃焼〉をして人生を終えたい、と思っている。

それは私が、〈志〉として自覚する宿命を生き切ることである。

そのためには、人並みの幸福とか、余生の経済的保証とか諦めている。

たった独りでも〈志〉を貫き、死ねれば本望である、と覚悟すると人生は変容する。

生活に、〈志〉の根底にある大きな意志が浸透していくかのような変化。

いわゆる共時性と言うのか、運命のようなものが枝葉を広げていく感じである。

 

メメント・モリ(死を忘れるな)

私の場合、ちょっと極端な例だったかもしれないが、〈死〉を忌まわしいものとして考えることを避けるより、どう人生を終えたいのか?という終末期のあり方を考える重要性については、「どのような死に際をあなたは望んでいるか、人生のゴールを決めてプランニングに取りかかれ」と「7つの習慣」のスティーブン・R・コヴィー氏も言っている。

どう生きるか、を十全に思慮するには、どう死ぬかを思慮しなくてはならない。

それは自分の生き方とか価値観、世界観などを検証する行為である。

自分のイノチを全うする障害となっている価値観や世界観は捨てるに限る。

 

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葉隠れ生活の三カ条とその心得

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1 死を生きよ
2 精神の高貴性を目指すことそして〈忍ぶ恋〉
3 好みに耽るべからず
 
・〈仕事〉そして〈家族の場〉とは、生命の完全燃焼の場である
・俗世間の理不尽さと不合理を「そういうもの」として諦め、解毒力を鍛える
・世の中は99.9%の多数者と0.01%の少数者で構成されていることを認識する